活動報告

鬼と福を決めるのは誰か?

鬼と福を決めるのは誰か?

「鬼は外、福は内」と言うが、その「鬼」と「福」を決めるのは誰なのか?
結論から言えば、それを 決めるのは社会であり、共同体であり、世間の目であり、最終的には個人 だ。

だが、これは単純な話ではない。鬼と福の境界は時代や状況、価値観によって流動的に変わる ものだからだ。

1. 共同体が決める「鬼と福」

節分の鬼とは、もともと 「社会にとって都合の悪いもの」 の象徴だった。
昔の日本社会では、共同体を脅かす要素が「鬼」とされ、それを排除することで 社会の秩序を守る 役割があった。

疫病が鬼になる → 病気を運ぶもの(動物や異邦人)が「鬼」に見なされた。

異質なものが鬼になる → 社会のルールから外れる存在(盗賊、異教徒、流れ者)は「鬼」とされた。

反乱者や異端者が鬼になる → 既存の体制に挑む者は「鬼」とされ、弾圧の対象になった。

つまり、 共同体が求める「秩序」にとって都合の悪いものが鬼とされ、都合の良いものが福とされた。

しかし、この「鬼と福の基準」は時代によって変化する。

鬼が福になる例
かつて異端視されていた 仏教は、後に日本の精神的支柱となった(反論あり)
田沼意次の表評価は私が歴史で習った後、変わっている。

つまり、 「鬼か福か」は時代と社会の価値観によって変わる ものなのだ。

2. 権力者が決める「鬼と福」

歴史を見れば、鬼を定義するのは 権力者 であることが多い。
幕府にとっての鬼 → 反乱を起こす農民や一揆の指導者。

戦国時代の鬼 → 敵対する武将(例:「鬼島津」「鬼玄蕃」など)

戦後の鬼 → 戦前の軍国主義や、反対に共産主義者が「鬼」とされた時期もあった。

つまり、「鬼は悪で、福は善」という単純な図式は、 常に誰かによってコントロールされている 可能性がある。
時には 福として受け入れたものが、後に鬼とされることもある。

開発による経済成長(福) → 環境破壊の元凶(鬼)になる。

自由な言論(福) → フェイクニュースの温床(鬼)になる。

「鬼は外」と言うが、それを 決めるのが誰かを考えなければ、気づかないうちに権力者の思惑に流されていることになる。

3. 個人が決める「鬼と福」

社会が鬼を決め、権力が鬼を定義する。
しかし、最終的に 「何を鬼とし、何を福とするか」を決めるのは、自分自身の価値観 だ。

例えば、こんなことを考えてみるといい。
• 本当に鬼を外に追い出していいのか?
• たとえば「嫌いな人」「苦手な仕事」「面倒な挑戦」を鬼と見なして排除するのは簡単だ。
• しかし、それが本当に自分の成長にとって悪いものなのか?
• 福が常に善なのか?
• 「楽な道」「安定した生活」「変化のない日常」

これらを福と見なすのは簡単だ。
• しかし、それが 人生の充実や成長につながっているのか?

このように考えると、節分の豆まきは単なる伝統行事ではなく、 「自分にとって本当に排除すべきものは何か?」を見極める儀式 になる。重すぎるか。

4. 鬼と福の境界線は固定されない

鬼と福の関係は、絶対的なものではなく、 グラデーションの中で揺れ動くもの だ。
「厄災=鬼」だが、試練を乗り越えれば「成長=福」になる。ペストが試練の先に何を生み出したか。

「豊かさ=福」だが、過剰になれば「怠惰=鬼」になる。

「鬼は災いをもたらす」一方で、「鬼は力の象徴」ともされる。

このように、 鬼と福は対立する概念ではなく、表裏一体のものとして存在している。コインと一緒ですな。

5. じゃあ、どうする?

もし本当に「鬼は外、福は内」ならば、こう問いかけるべきだ。
「鬼に見えているものは、本当に排除すべきものか?」

「福に見えているものは、本当に受け入れていいものか?」

「自分の鬼と福の境界線は、誰によって決められているのか?」

節分とは、単に鬼を追い出す日ではない。
むしろ、 「自分が何を鬼とし、何を福とするのか?」を考える日 なのかもしれない。

鬼と福を決めるのは、最終的に自分自身

社会や権力が鬼と福を決めることはある。
しかし、それを 盲目的に受け入れるのではなく、「本当に自分にとってそうかのか?」を問い直すことが大事 だ。

挑戦や試練を鬼と見なすか? それとも福と見なすか?

安定や安心を福と見なすか? それとも成長の妨げ(鬼)と見なすか?

過去に鬼とされたものが、今の時代において福に変わっていないか?

節分は、こうした 「鬼と福の境界線を再設定するための機会」 なのかもしれない。

だから、豆まきをするときに、ただ「鬼は外!」と叫ぶのではなく、
「この鬼、本当に外に追い出していいのか?」
「この福、本当に内に入れて大丈夫か?」
そう考えてみると、節分がより深い意味を持つ行事になるだろう。

いや、そんなこと考える必要は全くない。

最後まで読んでくれてありがとうございます!

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